家入レオの本名は家入わかな!芸名の由来や経歴に隠された秘話

家入レオの本名は家入わかな!芸名の由来や経歴に隠された秘話

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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家入レオさんの本名について知りたいと思っている方は多いのではないでしょうか。

家入レオさんの本名は「家入わかな(いえいりわかな)」といいます。1994年12月13日、福岡県久留米市生まれの女性シンガーソングライターで、2012年にわずか17歳という若さでメジャーデビューを果たし、その年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した実力派アーティストです。

芸名「家入レオ」の由来には映画「レオン」や手塚治虫の「ジャングル大帝」など複数の要素が重なっており、非常にユニークな背景があります。

この記事では、家入レオさんの本名にまつわる話から、幼少期の音楽との出会い、単身上京のエピソード、そして輝かしいデビューの軌跡まで徹底的に紹介します。

記事のポイント

①:本名は家入わかなであることが判明

②:芸名の由来は映画・動物・漫画の3要素

③:15歳で父親の反対を振り切り単身上京

④:日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞

家入レオの本名・家入わかなと芸名の秘密

  • 本名・家入わかなのプロフィールと生い立ち
  • 【3つの由来】芸名「家入レオ」誕生の経緯
  • 幼少期の音楽環境と5歳で詞を書いた才能
  • 尾崎豊の「15の夜」が歌手への転機に
  • 音楽塾ヴォイス入塾と西尾芳彦との出会い
  • 父親の反対を振り切り15歳で単身上京

本名・家入わかなのプロフィールと生い立ち

 
 
 
 
 
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まずは、家入レオさんの本名と基本プロフィールを整理しておきます。

項目 内容
本名 家入わかな(いえいりわかな)
芸名 家入レオ(いえいりれお)
生年月日 1994年12月13日
2026年04月20日現在の年齢 31歳
出身地 福岡県久留米市
出身高校 日出高等学校(現・目黒日本大学中学校・高等学校)
所属事務所 スリーハンドレッドエンタテインメント(元・研音)
レコード会社 ビクターエンタテインメント
レーベル Colourful Records
活動内容 シンガーソングライター・女優

本名「家入わかな」の読み方と意味

家入レオさんの本名は「家入わかな」、読み方は「いえいりわかな」です。

「わかな」という名前は春に芽吹く若菜を表す言葉で、清らかで希望に満ちたイメージを持つ名前です。

一方、芸名の「レオ」は英語表記で「LEO IEIRI」とも書かれます。

本名の「わかな」という柔らかい和風の響きとは対照的に、芸名の「レオ」は力強くインターナショナルな印象を与えますよね。

この対比が、家入レオさんというアーティストの多面的な魅力を象徴しているとも言えます。

出身地・福岡県久留米市について

家入レオさんは福岡県久留米市で生まれました。

久留米市は福岡県南部に位置する人口約30万人の中核市で、古くから商工業が盛んな地域として知られています。

家入レオさんはこの地で生まれ、幼少期を過ごしながら音楽との深い縁を育んでいきました。

福岡という土地が持つ熱量と人情の豊かさが、家入さんの歌に宿る温かさや情感の源泉になっているのかもしれません。

所属事務所と現在の活動

現在の所属事務所はスリーハンドレッドエンタテインメントです。

以前は研音(けんおん)に所属しており、多くの俳優やアーティストが在籍する大手芸能事務所でキャリアをスタートさせました。

レコード会社はビクターエンタテインメントで、レーベルは「Colourful Records」を使用しています。

デビューから現在に至るまで精力的な音楽活動を続けており、シンガーソングライターとしてはもちろん、女優としての顔も持つ多才なアーティストです。

プロフィールの概要を把握したところで、次は本名「わかな」から「レオ」という芸名が生まれた経緯を深掘りしていきます。

【3つの由来】芸名「家入レオ」誕生の経緯

「家入わかな」という本名を持ちながら、なぜ「家入レオ」という芸名になったのでしょうか。

実はこの芸名には、映画・動物・漫画という3つの異なるジャンルからのインスピレーションが重なり合って生まれた背景があります。

フランス映画「レオン」からの影響

芸名「レオ」の最初の由来は、フランス・アメリカ合作のアクション映画「レオン」です。

1994年にリュック・ベッソン監督が手がけたこの作品は、孤独なプロの殺し屋レオンと少女マチルダの絆を描いた名作映画で、日本でも公開当時から大ヒットを記録した伝説的な一本です。

家入レオさんがこの映画のタイトルを自分の芸名に採用した背景には、映画の持つ強さと繊細さが共存するキャラクター性への共感があったとも考えられます。

実際に家入さん自身が歌う楽曲にも「強さの中に宿る優しさ」「孤独と向き合う姿」といったテーマが多く見られ、映画「レオン」との親和性を感じずにはいられません。

この映画を芸名の起点に選んだセンスそのものが、すでに家入レオさんのアーティスト性を物語っていると言えます。

「目がライオンに似ている」という言葉

2つ目の由来は、所属事務所の社長から言われた一言です。

社長に「目がライオンに似ている」と指摘されたことが、「レオ」という名前を選ぶもうひとつのきっかけになりました。

ライオンはラテン語・英語で「leo」と書き、強さ・リーダーシップ・誇り高さを象徴する動物として世界中で知られています。

強いまなざしで知られる家入レオさんの目が、百獣の王ライオンと重なって見えたのでしょう。

確かに、パフォーマンス中の家入レオさんの真剣なまなざしや舞台上での圧倒的な存在感を見ると、社長の言葉にも納得感がありますよね。

手塚治虫「ジャングル大帝」のレオとの共鳴

3つ目の由来は、漫画の神様・手塚治虫さんが生み出した名作「ジャングル大帝」の主人公・レオです。

「ジャングル大帝」は1950年代に連載された手塚治虫さんの代表作で、白いライオンのレオが主人公として活躍する物語です。

映画「レオン」のレオと「ジャングル大帝」のレオ——2つの「レオ」が重なり合い、さらに「目がライオンに似ている」という社長の言葉が加わることで、「家入レオ」という芸名が完成しました。

本名「家入わかな」から「家入レオ」へ——その変化は単なる改名ではなく、アーティストとしてのアイデンティティを確立するための重要なプロセスだったのかもしれません。

3つの要素がシンクロして生まれた名前だと知ると、芸名ひとつにもこれほどのストーリーがあるものかと驚きますよね。

幼少期の音楽環境と5歳で詞を書いた才能

家入レオさんが「本名・家入わかな」として生まれ育った幼少期は、音楽と切っても切り離せない環境でした。

その類いまれな感受性は、幼い頃からすでに顔をのぞかせていたのです。

ピアノと合唱部——音楽に囲まれた日々

家入レオさんは幼少期からピアノを習い始め、音楽と触れ合う環境の中で育ちました。

さらに小学生になると合唱部に所属し、歌うことへの情熱を育んでいきます。

多くの子供がピアノを習い事として体験しますが、家入さんの場合はそれが単なる習い事ではなく、自分の感情と向き合うための手段として深く根づいていったようです。

幼い頃から音楽に囲まれて育ったことが、のちのシンガーソングライターとしての土台になっているのは間違いありません。

5歳で初めて詞を書いた天才的な感受性

驚くべきことに、家入レオさんが初めて詞(歌詞)を書いたのは5歳の時だったといいます。

ただし、その動機は「歌手になりたい」という明確な夢からではなく、「自分自身の感情をぶちまけたい」という内なる衝動からだったと本人は語っています。

5歳という年齢で自分の感情を言葉に変換しようとする行動は、通常ではなかなか見られないものですよね。

喜びや悲しみ、孤独感、誰かへの想い——そういった複雑な感情を言葉に落とし込む能力が、幼少期からすでに芽生えていたと言えます。

この感受性の豊かさこそが、家入レオさんのアーティストとしての核心部分を形成しているのではないでしょうか。

影響を受けたアーティストたち

家入レオさんが影響を受けたアーティストとして名前を挙げているのは、尾崎豊さん、YUIさん、平井堅さん、アヴリル・ラヴィーンの4名です。

日本の反骨精神を歌った伝説的ロッカー・尾崎豊さんから、等身大の感情を歌うポップシンガー・YUIさん、繊細なバラードが得意な平井堅さん、そして海外のパンク・ポップシンガー・アヴリル・ラヴィーンまで、そのジャンルは多岐にわたります。

この幅広いルーツが、家入レオさんの楽曲に感じられる「光と影を歌い分ける」表現力の源泉になっていると考えられます。

特に尾崎豊さんの影響は非常に大きく、後の歌手を志すきっかけにも直接つながっていくことになります。

小さな頃から多様な音楽に触れ、感情を言葉にし続けた経験が、今の家入レオさんを形作っているのだということが伝わってきます。

尾崎豊の「15の夜」が歌手への転機に

幼い頃から音楽が身近にあった家入レオさんですが、はっきりとした転機が訪れたのは中学生の頃でした。

ひとつの楽曲との出会いが、彼女の人生の方向を決定的に変えることになります。

「15の夜」との運命的な出会い

中学生の頃、家入レオさんは尾崎豊さんの代表曲「15の夜」を聴き、本格的に歌手を志すようになりました。

「15の夜」は1983年にリリースされた尾崎豊さんのデビュー曲で、学校や社会への反抗心、自由への渇望を歌った名曲です。

思春期を迎え、自分の感情と向き合い始めた中学生の家入さんにとって、尾崎豊さんの言葉は何か深いところで響いたのでしょう。

それまで感情を詞に書くことはあっても、歌手として音楽を届けることを明確な目標としていなかった家入さんが、この曲を聴いて初めて「歌手になりたい」という夢を抱いたといいます。

尾崎豊に共鳴した理由

なぜ家入レオさんはこれほどまでに尾崎豊さんの音楽に共鳴したのでしょうか。

それは、尾崎豊さんが「自分自身の感情に正直であること」を歌い続けたアーティストだったからではないかと考えられます。

家入レオさんも幼少期から「感情をぶちまけたい」という動機で詞を書き始めていました。

感情に正直に向き合い、それを音楽にするという姿勢において、2人の魂は深いところで共鳴していたのかもしれません。

その後、家入レオさん自身もデビュー後に「100%の共感は得られない、それでも自分の経験から生まれた音楽を届けたい」と語っており、この姿勢は尾崎豊さんのスタンスと重なる部分が大きいです。

クラスメート・麻倉ももとの絆

家入レオさんの高校時代のクラスメートとして知られているのが、声優の麻倉ももさんです。

麻倉さんは「Wake Up, Girls!」などで活躍する人気声優で、2人は高校生時代に唯一互いの夢を語り合える仲だったといいます。

家入レオさんが上京するために福岡を離れる際、麻倉さんを励ます言葉をかけたことが、麻倉さんがオーディションへ挑戦する後押しになったとも伝えられています。

互いに夢を語り、背中を押し合った2人が、それぞれの道でプロとして活躍している今、その友情の深さが改めて伝わってきます。

音楽塾ヴォイス入塾と西尾芳彦との出会い

歌手を志した家入レオさんが最初に踏み出した一歩が、「音楽塾ヴォイス」への入塾でした。

ここでの経験が、後の家入レオというアーティスト像の核心を形成していきます。

音楽塾ヴォイスとはどんな場所か

「音楽塾ヴォイス」は、音楽プロデューサー・西尾芳彦さんが主宰する音楽スクールです。

多くの有名アーティストを育成したことで知られており、業界内での知名度も高い育成機関です。

ただ歌唱力を鍛えるだけでなく、作詞・作曲の能力を磨き、アーティストとしての総合的な表現力を育てる場所として定評があります。

家入レオさんはこの音楽塾に入塾し、アーティストとしての基礎をここで学んでいきました。

プロデューサー・西尾芳彦との出会い

音楽塾ヴォイスでの最大の出会いが、音楽プロデューサーの西尾芳彦さんとの縁です。

西尾さんはその後、家入レオさんのメジャーデビューから長年にわたって楽曲の編曲を担当し続ける存在となりました。

家入レオさんが作詞作曲を自身で行い、西尾さんが編曲を担当するというこの形は、デビュー後も長く続く強固なパートナーシップの基盤となっています。

自分の感情を詞と曲に込め、それを西尾さんがサウンドとして完成させる——この分業体制が家入レオさんの楽曲の完成度を支えているといえます。

音楽塾での修業が生んだシンガーソングライター像

音楽塾ヴォイスでの経験は、家入レオさんのアーティスト像の形成に大きな影響を与えました。

ただ声が良い、歌が上手いというだけでなく、自分の言葉で楽曲を作り上げる「シンガーソングライター」としてのスタイルは、この時代に確立されたといっても過言ではありません。

デビュー後も作詞作曲を基本的に自身で手がけるスタイルを維持しており、これは音楽塾での経験から培われた「自分の感情を音楽で表現する」という信念の表れです。

近年では提供曲を歌うこともあり、それによって新しい発見があると本人も語っています。

自分で書く楽曲と提供される楽曲、どちらにも真摯に向き合う姿勢が、家入レオさんのアーティストとしての成長を促しているのでしょう。

父親の反対を振り切り15歳で単身上京

2011年、家入レオさんは当時15歳という年齢で、父親の反対を押し切って単身上京しました。

この決断の背景には、家族との葛藤と強い夢への情熱が交錯していました。

父親が上京に反対した理由

父親が上京に反対したのは、当然のことかもしれません。

家入レオさんは音楽塾ヴォイスで才能を磨いていたとはいえ、それが必ずしもプロデビューや安定した生計に直結するとは限らない世界です。

15歳の娘が、まだ確実な成功が見えない音楽の夢を追って遠く東京へ行くと言い出したら、親として止めたくなるのは当たり前の気持ちでしょう。

家入さんも説得を試みたようですが、話し合いはなかなかまとまらなかったといいます。

半ば勘当状態での出発

結局、家入レオさんと父親の話し合いは折り合いがつかず、家入さんは半ば勘当状態で上京することになりました。

それでも夢を諦めることができなかった15歳の家入さんが選んだ道は、孤独な上京でした。

この「単身で夢を追う」という経験は、のちに家入レオさんが生み出す楽曲のテーマ——孤独、自由への渇望、親との葛藤——に深く影響を与えていくことになります。

上京の決断そのものが、すでに家入レオという表現者の素材になっていたのです。

上京後の高校生活と音楽活動の両立

上京した家入レオさんは、都内の高校(日出高等学校・現・目黒日本大学中学校・高等学校)に通いながら、楽曲制作とライブ活動を続けていきました。

上京による孤独感、周りからの評価へのプレッシャー、学業と音楽の両立——10代にして大きな重荷を背負いながらも、彼女は着実に力をつけていきます。

この時期に生まれた感情が後の楽曲「サブリナ」に直接投影されており、「クラスで自分がどう思われているのかが怖い」という15歳の正直な心情が込められていると本人は語っています。

孤独の中で磨かれた感受性こそが、家入レオというアーティストの最大の武器になったのかもしれません。

家入レオの本名が紡ぐ歌手としての躍進と現在

  • デビュー前から「トリコ」主題歌に抜擢
  • 17歳でのメジャーデビューと日本レコード大賞
  • 10代の葛藤と周囲との違いに悩まされた日々
  • 日本武道館公演という5年越しの夢の実現

デビュー前から「トリコ」主題歌に抜擢

 
 
 
 
 
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メジャーデビューを果たす前から、家入レオさんには既に大きなチャンスが訪れていました。

新人が踏み出す一歩としては、異例中の異例の出来事です。

「サブリナ」がアニメ「トリコ」の主題歌に決定

家入レオさんのメジャーデビュー曲「サブリナ」は、デビュー前にテレビアニメ「トリコ」の主題歌として起用されることが決まっていました。

「トリコ」は少年ジャンプで連載されていた島袋光年さんのグルメバトル漫画で、フジテレビ系で放映されたアニメ版は人気番組のひとつでした。

メジャーデビュー前の新人アーティストの楽曲が、放送前からアニメの主題歌に採用されるというのは、異例の待遇といえます。

それだけ家入レオさんの楽曲の完成度と声の個性が高く評価されていたということでしょう。

「サブリナ」に込められた15歳の感情

「サブリナ」は家入レオさんが15歳の時に作られた楽曲です。

「クラスで自分がどう思われているのかが怖い」という孤独ゆえの感情をテーマにしており、自分の感情を「サブリナ」という女性キャラクターに仮託して表現した楽曲です。

本人は「この曲は全員に当てはまる歌であり、誰もが持つ胸の内の悩みを表している」とも語っています。

誰にでもある「自分がどう見られているかが不安」という感情に、多くのリスナーが共感を覚えたのは自然なことでしょう。

「サブリナ」は以降の家入レオさんの楽曲の基盤ともなる重要な作品で、アーティストとしての方向性を早い段階で示した一曲でもあります。

2011年のライブデビュー——AKB48らと同舞台に立つ

家入レオさんは正式なメジャーデビューに先立ち、2011年12月に東京都渋谷区で行われた大型音楽イベント「MUSIC FOR ALL ALL FOR ONE」でライブデビューを果たしています。

このイベントは12月23日から25日の3日間にわたって開催された大規模なもので、家入さんはなんとトップバッターを務めました。

同じステージにはAKB48、KARA、倖田來未といった豪華アーティストが名を連ねており、1万人を超える観客を前にした堂々たるパフォーマンスで存在感を示したのです。

デビュー前の新人がこれほど大きなステージに立つこと自体、家入レオさんへの期待の大きさを物語っています。

17歳でのメジャーデビューと日本レコード大賞

2012年、家入レオさんは17歳でついにメジャーデビューを果たします。

そのデビューイヤーには早くも日本の音楽界を代表する賞を受賞し、一躍注目を集める存在となりました。

1stアルバム「LEO」とメジャーデビュー

2012年10月24日、家入レオさんは1stアルバム「LEO」をリリースし、正式にメジャーデビューを果たしました。

アルバムタイトル「LEO」は芸名そのものであり、自分自身のすべてを詰め込んだ作品として発表されました。

収録曲には「サブリナ」をはじめ、2ndシングル「Shine」など、幼少期から上京にかけての感情を昇華させた楽曲が収められています。

17歳という若さでありながら、楽曲の深みと完成度はすでに高いレベルに達していたと評価されています。

第54回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞

デビューイヤーの年末、家入レオさんは「第54回日本レコード大賞」で最優秀新人賞を受賞しました。

日本レコード大賞は日本音楽界最高峰の賞のひとつで、最優秀新人賞はその年最もインパクトを与えた新人アーティストに贈られます。

17歳でのデビューイヤーに最優秀新人賞を獲得するというのは、同時代の新人の中でも突出した評価を受けたことを意味します。

本名・家入わかなとして育った少女が、芸名・家入レオとして音楽界の頂点にその名を刻んだ瞬間でした。

授賞式直前に届いた父親からのメール

この授賞式には、感動的なエピソードが残っています。

授賞式の直前、上京時に勘当を言い渡した父親からメールが届いたのです。

そのメールにはただ一言——「頑張れ」と書かれていました。

「頑張れ」という2文字が、父親と娘の和解の第一歩であり、応援の気持ちを伝える精一杯の言葉だったのでしょう。

そのメールを読んだ家入さんは、本番直前に涙ぐんでしまったと後に語っています。

親の反対を押し切って上京し、孤独の中で歌い続けた少女が、大舞台の前夜に父親の想いを受け取った——このエピソードを知ると、家入レオさんの音楽に込められた感情の重みが一層増して感じられます。

10代の葛藤と周囲との違いに悩まされた日々

輝かしいデビューを果たした家入レオさんでしたが、10代での成功がゆえの孤独や違和感とも向き合い続けることになりました。

成功の裏側に潜む葛藤——あなたもこの部分に共感を覚えるかもしれません。

同世代とはかけ離れた日常生活

17歳でメジャーデビューし、賞を受賞した家入レオさんの日常は、同世代の高校生とはまったく異なるものでした。

テレビ出演、全国ツアー、楽曲制作——一般的な高校生が学校の友達と過ごす時間に、家入さんはアーティストとしての仕事をこなしていました。

同世代の子たちの暮らしと自分の暮らしを比べた時、「自分は本当に生きているのか」と感じることさえあったと本人は語っています。

多くの番組や公演をこなし、夢の舞台だったものが日常になっていく中で生まれる空虚感——成功の裏側に潜む、10代ならではの孤独感です。

2013年〜2015年——精力的な活動と受賞歴

葛藤を抱えながらも、家入レオさんは音楽活動を精力的に続けていきます。

2013年には自身初の全国ツアー「家入レオ 1st ワンマン Tour 〜LEO〜」を全国4都市で開催。

さらに同年末には「家入レオ 2nd ワンマン Tour 〜Kimi ni Todoke〜」も4都市で開催し、着実にファンとの絆を育てていきました。

そして2015年、シングル「君がくれた夏」がドラマ「恋仲」の主題歌として使用され、第86回ザテレビジョンドラマアカデミー賞でドラマソング大賞を受賞しました。

受賞を重ねながらも内面の葛藤は消えず、家入さんは自分の立ち位置と向き合い続けていたのです。

King Gnuとの出会いが転機に

そんな葛藤を抱える家入レオさんの心に転機を与えたのが、King Gnuのライブとの出会いでした。

King Gnuのライブで演奏された「McDonald Romance」で、観客全員が一緒に歌う場面を目の当たりにした家入さんは、「これは共感を生む歌詞だ。同世代が集まるはずだ」と強く感じたといいます。

その体験から「自分ももっと同世代の人と話して、もっと怖がらずにいろんなことにチャレンジしてみよう」という思いを新たにしました。

「100%の共感を得ることはできないのは当たり前。けれど今頑張れば自分の音楽が確立できるはず」——この言葉は、葛藤を乗り越えた家入レオさんが辿り着いた境地です。

日本武道館公演という5年越しの夢の実現

デビュー当初から家入レオさんが目標に掲げていた夢のひとつが、日本武道館での単独公演でした。

その夢がついに実現したのは、デビューから5年後の2017年のことでした。

2017年——デビュー5周年という節目

2017年は家入レオさんにとって、デビュー5周年という大きな節目の年でした。

この年、5周年記念ベストアルバム「5th Anniversary Best」をリリースし、これまでの音楽活動の集大成を一枚のアルバムにまとめました。

デビュー時から歌い続けた楽曲が並ぶこのアルバムは、本名・家入わかなとして育ち、家入レオとして歩んできた5年間の証でもあります。

同世代との差に悩み、孤独感を抱えながらも歌い続けた5年間の重みが、このアルバムには詰まっています。

日本武道館での単独公演の実現

そして同年、デビュー時からの夢だった日本武道館での単独公演「5th Anniversary Live at 日本武道館」を開催しました。

日本武道館は、多くのアーティストが一生に一度は立ちたいと憧れる伝説的なステージです。

15歳で父親の反対を押し切り、孤独の中で歌い続けた少女が、5年後に日本最高の舞台に立つ——そのストーリーはドラマそのものです。

デビュー時に感じた葛藤や孤独、同世代との差、そして父親との確執——すべての経験が、武道館のステージで花開いた瞬間でもありました。

女優デビューとその後の活躍

武道館公演と同年の2017年10月には、ドラマ「新宿セブン」への出演により女優デビューも果たしました。

音楽だけでなく演技にも活動の幅を広げ、表現者としての可能性をさらに拡張していった家入レオさん。

翌2018年には6度目となるツアー「6th Live Tour TIME」を開催しました。

2019年には「7th Live Tour 2019 DUO」を全国20ヶ所にて実施し、着実に活動のフィールドを広げながら、本名・家入わかなを胸に秘めながら家入レオとして歌い続けています。

これからも多くのファンに感動を届けてくれることでしょう。

家入レオの本名・芸名と経歴の総まとめ

  • 本名は家入わかな(いえいりわかな)、芸名は家入レオ(いえいりれお)
  • 生年月日は1994年12月13日福岡県久留米市生まれ
  • 芸名の由来は映画「レオン」・社長の「目がライオンに似ている」・手塚治虫「ジャングル大帝」の3要素が重なり合って誕生
  • 5歳の時に初めて詞を書き、幼少期からピアノ・合唱部で音楽と触れ合った
  • 中学生の頃に尾崎豊の「15の夜」を聴いて本格的に歌手を志すようになった
  • 「音楽塾ヴォイス」に入塾し、プロデューサーの西尾芳彦さんと出会いパートナーシップを築く
  • 15歳で父親の反対を押し切り、半ば勘当状態で単身上京という波乱のスタート
  • 上京後は都内の日出高等学校に通いながら楽曲制作とライブ活動を続けた
  • デビュー前から「サブリナ」がアニメ「トリコ」の主題歌に採用される異例の抜擢
  • 2012年10月24日に1stアルバム「LEO」でメジャーデビュー(当時17歳)
  • デビューイヤーに第54回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞
  • 授賞式直前に父親から「頑張れ」の一言を受け取り涙した感動のエピソードも
  • 10代の成功ゆえの孤独感や葛藤と向き合い、King Gnuのライブが精神的転機に
  • 2017年デビュー5周年に日本武道館での単独公演という夢を実現
  • 女優デビューも果たし、シンガーソングライターとして現在も精力的に活動を続けている