宮坂七海の家族構成|父親・修見さんの剣道指導と妹2人が支えた競技人生

宮坂七海の家族構成|父親・修見さんの剣道指導と妹2人が支えた競技人生

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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宮坂七海さんの家族について、父親はどんな人物なのか、家族構成はどうなっているのかが気になっている方は多いのではないでしょうか。

宮坂さんは生まれつき耳が聞こえないろう者でありながら、クレー射撃全日本女子選手権を2年連続制覇した現役トップアスリートです。

その競技への情熱の原点には、「一つのことに集中する大切さを娘に伝えたい」と剣道を勧めた父親・修見さんの存在があります。

この記事では、宮坂七海さんの家族構成や、父親・修見さんとのエピソード、妹2人との関係、そして家族に支えられた剣道・クレー射撃での競技人生を詳しくまとめています。

記事のポイント

①:父親・修見さんの剣道経験が七海さんの競技人生の原点

②:明晴学園一期生として育ったろうアイデンティティ

③:競技歴1年半でジュニアオリンピック史上最年少優勝

④:全日本女子選手権2年連続制覇という実績

宮坂七海の家族構成と父親修見さんの思い

  • 宮坂七海さんの家族構成|父・修見さんと妹2人の存在
  • 父親・修見さんの人物像と剣道への思い
  • 明晴学園という選択|バイリンガルろう教育と家族の思い
  • 日体荏原高校への挑戦と家族の決断
  • ろうアスリートを支える家族の絆とコミュニケーション
  • 手話活動とSNS発信|ろう児のロールモデルを目指して

宮坂七海さんの家族構成|父・修見さんと妹2人の存在

宮坂七海さんの家族について、現在公開されている情報をまとめると、父親・修見(おさみ)さんと妹2人の存在が確認されています。

母親の詳細は公開されていませんが、宮坂さんのインタビューや取材記事からは、「型にはめることなく、ありのままを愛してくれた家族」という言葉が繰り返し登場します。

まずは宮坂七海さんの基本プロフィールを確認しておきましょう。

項目 内容
本名 宮坂七海(みやさかななみ)
生年月日 1997年11月3日
2026年03月30日現在の年齢 28歳
出身 東京都
学歴 日本体育大学大学院 修士課程修了(コーチング学専攻)
所属 セトラスホールディングス
競技 クレー射撃(トラップ種目)
特記事項 生まれつきのろう者(聴覚障害)・第一言語は日本手話

家族構成の全体像

下記の表は宮坂七海さんの家族構成をまとめたものです。

続柄 人物 備考
父親 修見(おさみ)さん 剣道経験者・七海さんを競技に導いた
母親 非公表 詳細不明
妹(長女) 非公表 詳細不明
妹(次女) 非公表 詳細不明

3姉妹の長女として育った宮坂さんにとって、妹2人の存在は大きな支えになっていることが想像できます。

妹たちの名前や職業については現時点で公表されていませんが、宮坂さんが取材のたびに「家族のサポートへの感謝」を口にしていることから、家族全体が一丸となって彼女の競技人生を応援してきた様子がうかがえます。

妹2人との関係性

宮坂さんには妹が2人います。

3姉妹という構成の中で、七海さんは常に長女として周囲を引っ張る存在でした。

耳が聞こえないことが家族内のコミュニケーションをどう形成したかについては多くを語っていませんが、「家族が耳が聞こえないそのままの自分を尊重してくれること」という言葉から、妹たちも含めた家族全体が宮坂さんのろうアイデンティティを自然に受け入れていたことがわかります。

ここ、すごく大事な部分ですよね。

聴者の家族の中でろう者として育つ場合、しばしば「健聴者に合わせる」ことを求められるケースもあります。しかし宮坂家では、七海さんが日本手話を第一言語として使い、自分らしく過ごせる環境が整えられていたのです。

家族が育てた揺るぎない価値観

宮坂七海さんのインタビューには、「型にはめこめるのではなく、ありのままを愛してくれた家族や仲間や学校」という表現が繰り返し登場します。

これは単なる謙遜の言葉ではなく、彼女のアイデンティティ形成において家族の存在がいかに重要だったかを示すものです。

耳が聞こえないことを「障害」として補おうとするのではなく、「ろう者としての強み」に変えていく考え方は、まさに家族の養育方針が育てたものと言えるでしょう。

その結果、宮坂さんは「聞くこと以外なんでもできる」という力強い言葉を自ら口にするアスリートへと成長しました。

父親・修見さんの人物像と剣道への思い

宮坂七海さんの父親・修見(おさみ)さんは、剣道の経験者です。

娘の競技人生の起点をつくった人物として、取材記事でも繰り返しその名前と思いが登場します。

剣道経験者だった父親・修見さん

修見さんが剣道を経験していたことは、宮坂七海さんのいくつかのインタビュー記事で確認できます。

剣道は精神修養を重んじる武道であり、「礼に始まり礼に終わる」という考え方が根底にあります。修見さん自身がその精神を身につけていたからこそ、聴覚障害のある娘に対しても「特別扱い」ではなく「一人のアスリートとして」競技に向き合わせようとしたのかもしれません。

剣道を通じた親子の絆が、宮坂七海さんの競技人生の最初の1ページを飾っています。

「一つのことに集中する大切さ」という教え

修見さんが七海さんを剣道に導いた理由として、本人取材では明確に語られています。

一つのことに集中することの大切さを、娘にも伝えたかった」——これが、修見さんが東京都大田区の東競武道館へ七海さんを連れて行った動機です。

この言葉は非常に示唆的です。ただ単に「強くなってほしい」「大会で勝ってほしい」という功績主義ではなく、「集中すること」という人生の姿勢を伝えることを目的にしていた点が特徴的です。

結果として、この教えは宮坂七海さんの「周辺視」や「目と手の協応」という卓越した視覚能力と組み合わさり、クレー射撃での驚異的な才能開花へとつながりました。

東競武道館での出会いと七海さんの成長

東競武道館は東京都大田区にある道場で、宮坂七海さんが小学5年生から通い始めた場所です。

ここで指導にあたったのが、豊村東盛範士八段です。豊村範士は七海さんの才能をいち早く見抜き、「こちらのそぶりを見て、何をすべきか察する集中力があった」と語っています。

七海さん自身も「剣道を通じて、耳が聞こえる人たちと繋がりたかった」という思いを持っており、父親の勧めと自分自身の意欲が一致したことが、その後の急成長を生んだと言えます。

最初は「どこから打ち込まれるかわからず怖かった」と語る七海さんでしたが、稽古を重ねるうちに相手の動きや気持ちがわかるようになってきたといいます。これは聴者とろう者の垣根を越えた、剣道ならではの「身体言語」による理解です。

父親の教えが生んだ競技精神

修見さんが伝えた「集中すること」という価値観は、宮坂七海さんの言葉にしっかりと受け継がれています。

「報われるまで努力する」——これが宮坂さんの競技人生を貫くモットーです。

また、「負けず嫌いな性格」も宮坂さんの特徴として語られており、日本体育大学剣道部の後輩が「自分が勝つまでやめない」と証言しているほどです。この粘り強さは、間違いなく幼少期に父親から受けた剣道の薫陶が育てたものでしょう。

修見さんが小学5年生の娘に一つの道場への扉を開いたことが、その後の数十年にわたる競技人生の出発点となったのです。

明晴学園という選択|バイリンガルろう教育と家族の思い

宮坂七海さんは中学まで、学校法人「明晴学園」に通っていました。

この学校を選んだことは、七海さんのろうアイデンティティ形成において非常に重要な意味を持っています。

明晴学園とはどのような学校か

明晴学園は2008年に開校した東京都品川区の私立特別支援学校です。

最大の特徴は、日本手話を第一言語としたバイリンガルろう教育を実践している点にあります。多くのろう学校では「口話法(口の形を読んで話す方法)」を中心とした教育が行われてきましたが、明晴学園はそれとは異なる哲学を持っています。

手話を日本語と同等の「言語」として位置づけ、子どもたちが日本手話と日本語(書き言葉)を両方習得することを目指した教育方針です。ろう者の「言語」を尊重し、ろうアイデンティティを肯定的に育てることを理念としています。

明晴学園一期生という誇り

宮坂七海さんは明晴学園の一期生です。

2008年の開校と同時に入学したことを意味しており、まだ実績も歴史も積み重なっていない新設校の最初の生徒として通ったことになります。

一期生として学んだ経験は、後に「後輩たちへのロールモデルになりたい」という宮坂さんの夢とも重なっています。自分が学んだ学校の後輩たちに、「ろう者でも何でもできる」と伝えたいという思いは、明晴学園での経験から芽生えたものかもしれません。

家族がこの学校を選んだ意味

明晴学園はもともと「ろう児を持つ親たちで立ち上げた」学校です。

宮坂さんの家族がこの学校を選んだことは、「娘のろうアイデンティティをきちんと育てたい」という明確な意思の表れと見ることができます。

口話を強要することなく、日本手話で自由にコミュニケーションをとれる環境の中で、七海さんは「家族や友達とは日本手話で自由に会話ができ、ろう者だからといって特に不自由なことはなかった」と感じる日々を過ごしました。

まさにそこが宮坂さんにとっての「自分の世界」だったのです。ここ、気になりますよね。家族がこの学校の理念に共感し、子どもが自分らしくいられる場所を選んだことが、七海さんの自己肯定感の基盤をつくったと言えます。

明晴学園での生活が育てたもの

明晴学園での生活で七海さんが得た最大のものは、「ろう者としての誇り」だったのではないでしょうか。

手話という言語で自由に表現し、同じ言語を共有する仲間たちとともに学んだ日々は、七海さんの精神的な基盤を形成しました。

聴者社会の中で「できないこと」を補おうとするのではなく、「ろう者だからこそできること」を見つけていく姿勢は、明晴学園で育まれたものです。後に宮坂さんが語った「耳が聞こえないからこそできる」という言葉は、この時期に根を張った考え方と言えるでしょう。

日体荏原高校への挑戦と家族の決断

中学卒業後、宮坂七海さんは明晴学園から一転して、聴者が通う「普通の」高校である日本体育大学荏原高等学校へと進学しました。

この選択は、宮坂さんにとって大きな環境の変化であり、家族にとっても重要な決断でした。

なぜ日体荏原高校を選んだのか

進学のきっかけは、東競武道館で指導を受けていた豊村東盛範士八段の勧めです。

豊村範士は日体荏原高校剣道部の実力を知っており、七海さんの才能をさらに伸ばすためには、聴者の強豪選手たちと切磋琢磨できる環境が必要と判断したのでしょう。

日体荏原高校は多くのアスリートや体育系指導者を輩出する日本体育大学の系列高校であり、都内でも剣道強豪校として知られています。スポーツが大好きで才能のある七海さんにとって、この進学先は「望むべき選択肢」だったと言えます。

「決して特別扱いはしない」という方針

日体荏原高校の指導方針は「決して特別扱いはしない」というものでした。

これは一見冷たいように見えるかもしれませんが、七海さんにとっては「聴者と同じ土俵に立てる」という意味で歓迎される方針でした。

授業は板書を中心に、タブレット端末や音声変換アプリも活用して理解していったといいます。環境整備と本人の適応力が組み合わさることで、ろう者が聴者と同じ教室で学ぶという挑戦が実現しました。

剣道の稽古では、指示を聞き取れないため部員から身振り手振りで稽古メニューを教えてもらい、先生からの指導はメモ帳を使った筆談で理解しました。

友達が手話を覚えてくれた温かい出来事

最初は筆談が中心だった友達とのコミュニケーションでしたが、やがて変化が起きました。

友達が少しずつ手話を覚えてくれたのです。

「温かく受け入れてもらえて嬉しかった」という七海さんの言葉が、その当時の心境を表しています。聴者の友達が自分のためにわざわざ手話を学んでくれるという経験は、「人との繋がりを持ちたい」という七海さんの元々の思いを、さらに強く確認させるものだったでしょう。

高校2年生での都大会優勝という快挙

日体荏原高校での充実した稽古の結果、高校2年生のとき、東京都高等学校春季剣道大会で優勝を果たしました。

さらに東京都代表として第5回全日本都道府県対抗女子剣道優勝大会にも出場。全国の強豪選手と鎬を削る舞台に立ちました(2回戦敗退)。

この活躍は2014年8月4日放送の日本テレビ『NEWS ZERO』でも取り上げられ、キャスターの櫻井翔さんが「宮坂さん本人の努力や頑張りが、想像を絶することなんじゃないかと思う」とコメントしました。ろう者の女性剣道家として、全国的な注目を集めた瞬間でした。

ろうアスリートを支える家族の絆とコミュニケーション

宮坂七海さんの競技人生を振り返ると、どの場面にも「家族の支え」が見えてきます。

ここでは、ろうアスリートとして歩む七海さんを支えた家族の絆と、家族内のコミュニケーションについて整理します。

家族が守り続けた「ありのまま」の環境

宮坂さんの取材では、家族について語るとき、必ずと言っていいほど「ありのままを受け入れてくれた」というフレーズが登場します。

これが意味するのは、口話を強制しなかったこと、日本手話を家族のコミュニケーション言語として認めたこと、そして「ろう者であること」を「克服すべき欠点」ではなく「個性」として扱ったことです。

このような環境で育ったからこそ、宮坂さんは「耳が聞こえないからこそできる」という前向きな言葉を語れるアスリートになりました。

父親・修見さんが橋渡しした聴者の世界

家族内ではろう者の環境を守りながら、一方で父親・修見さんは七海さんを「聴者の世界」へと橋渡しする役割も担いました。

剣道道場は聴者が通う場所でした。七海さん自身も「剣道を通じて、耳が聞こえる人たちと繋がりたかった」という思いを持っていたといいます。

父親がその願いを先取りするように道場の扉を開いたことで、七海さんは「自分の世界」と「聴者の世界」を行き来できるアイデンティティを育てていったのです。

競技継続を支えた家族のサポート

クレー射撃では銃砲所持許可の取得から始まり、海外遠征まで伴う活動が続きます。金銭的・物理的なサポートも当然必要になります。

日本体育大学在学中は日本財団のパラアスリート奨学金制度が支えましたが、それ以前・以後においても、家族の精神的な支えは変わらず七海さんの競技継続を後押ししてきたでしょう。

「苦しい時こそ支えてくれた方々への感謝の気持ちを思い出す」という七海さんの言葉には、家族を含む多くのサポーターへの深い感謝が込められています。

妹2人の存在と長女としての自覚

3姉妹の長女として、宮坂七海さんは妹2人に見られる存在でもあります。

自分がどんな姿を見せるかが、妹たちにも影響するという意識は、七海さんの競技への真摯な姿勢とも無関係ではないはずです。

競技で活躍し、手話普及活動をし、後輩たちのロールモデルになろうとする——そのすべては、家族の中で育まれた「人と繋がりたい」「役に立ちたい」という根底の思いから来ているように見えます。長女として家族の期待を感じながら、それをプレッシャーではなく原動力に変えてきた宮坂さんの姿は、本当に素晴らしいですよね。

手話活動とSNS発信|ろう児のロールモデルを目指して

宮坂七海さんはクレー射撃選手としての活動と並行して、手話の普及や聴覚障害に対する理解を広めるための活動にも精力的に取り組んでいます。

家族が育てた「ろうアイデンティティへの誇り」が、社会へのメッセージとして発信されている場面を見ていきましょう。

SNSでの手話動画投稿

宮坂さんはX(旧Twitter)の公式アカウント(@nanami_oanmr)で、手話単語の動画を継続的に投稿しています。

「🌈手話を覚えたい人へ🌈」というシリーズは、手話に興味を持つ聴者に向けた入門コンテンツとして機能しています。

競技者でありながら手話教育者としての側面も持つ宮坂さんの活動は、「競技だけに集中する」という枠を超えた、より広い使命感から来ているのでしょう。

NHK Eテレ「みんなの手話」への出演

2021年度からは、NHK Eテレの手話教育番組『みんなの手話』に不定期出演しています。

毎週日曜日午後7時30分〜7時55分に放送されるこの番組は、全国の視聴者に手話を教えるNHKの長寿番組です。スポーツ選手として注目された知名度を活かして、手話普及活動の場に飛び込んだことは、宮坂さんの社会貢献への意識の高さを示しています。

電話リレーサービスCMへの出演

2021年には、日本財団電話リレーサービスのYouTube動画広告「できることを、あきらめない。」に主演しました。

今井ミカ監督(ろう者の映像監督)による作品で、宮坂さん自身の実体験をもとにした内容です。

射撃場の予約や装弾の手配など、電話が必要な場面でろう者が直面する困難を描きながら、電話リレーサービスによって「できないことがなくなる」社会への希望を伝えています。

このCMで宮坂さんは「電話をできないだけであきらめていたことがある」と語っています。競技の世界では圧倒的な強さを見せながら、日常生活での不便を正直に語るその姿勢が、多くの人の共感を呼びました。

ろう児のロールモデルになるという夢

宮坂七海さんが語る「夢」は、競技でのメダルだけではありません。

「ろう児が自信を持てるロールモデルになること」——これが七海さんの、競技を越えた人生の目標です。

「耳が聞こえないのにできる、ではなくて、耳が聞こえないからこそできると周りに思ってもらえるように頑張ります」という言葉が、その思いを最もよく表しています。

家族に「ありのまま」を愛してもらった経験が、今度は自分が同じようにろう児たちを勇気づける番だという使命感へとつながっているのです。

宮坂七海の家族が見守るクレー射撃人生

  • クレー射撃を始めた理由と財団の支援
  • JOCジュニアオリンピック史上最年少優勝の快挙
  • メルカリ入社と競技継続の道|大学院修了後の選択
  • 全日本女子選手権2年連続優勝と国際大会への挑戦
  • LA2028オリンピック出場と宮坂七海さんの夢

クレー射撃を始めた理由と財団の支援

宮坂七海さんがクレー射撃を始めたのは、2017年のことです。

日本体育大学の2年生だったときで、剣道との「二刀流」という異例のスタートでした。

大学2年生での転機

2017年、日本体育大学に在籍中の七海さんに転機が訪れます。

日本財団より、日本体育大学グループ在籍学生を対象としたパラアスリート奨学金制度が設置されたのです。理事長・松浪健四郎さんからの推薦もあり、七海さんはクレー射撃競技への挑戦を決めました。

2017年度「日本財団パラアスリート奨学金」の奨学生として認定され、新たな競技への扉が開かれました。

銃砲所持許可取得という準備の過程

クレー射撃を始めるためには、まず銃砲所持許可の取得が必要です。

2017年4月から銃砲所持許可に関する勉強を始め、同年11月27日に玉川警察署より許可を受けました。

競技開始まで半年以上の準備期間があったことからも、宮坂さんが真剣にクレー射撃に取り組む姿勢を示していたことがわかります。

法的な手続きも自ら学んで進めていく——この丁寧な準備の姿勢は、父親・修見さんから受け継いだ「一つのことに集中する大切さ」そのものと言えるでしょう。

ろう者の視覚能力がクレー射撃に活きた

なぜ宮坂七海さんがクレー射撃においてこれほど短期間で成果を出せたのか。

その理由は、ろう者として育つ中で自然に磨かれた「視覚能力」にあります。

宮坂さんの「周辺視」と「目と手の協応」はトップアスリートクラスと評価されています。耳から入る情報が制限される分、目からの情報処理能力が飛躍的に高まるというろう者の特性が、クレー射撃のトラップ種目(高速で飛ぶ円盤を散弾銃で撃ち落とす)にぴったりとはまったのです。

宮坂さん自身は「逆に周りの余計なものが一切入ってこないので、射撃にとってはプラスになっている」と語っており、担当コーチも「目で得た情報をすぐ処理して即実践できる強みがある」と高く評価しています。

剣道との二刀流で磨かれた集中力

クレー射撃を始めた後も、七海さんは剣道部での活動を継続していました。

剣道で鍛えた「相手の動きを瞬時に読む集中力」と、ろう者として培った「視覚からの情報処理能力」が組み合わさったことが、クレー射撃での驚異的な上達速度につながりました。

日本体育大学と日本財団のサポートを受けながら、海外遠征にも参加するなど多忙な日々の中で、宮坂さんは二種目の競技者として活躍していきます。

JOCジュニアオリンピック史上最年少優勝の快挙

クレー射撃を始めてわずか1年半後、宮坂七海さんは信じられない記録を打ち立てました。

ここでは、その歴史的な快挙の内容と意義を詳しく見ていきます。

2019年8月17日の歴史的な優勝

2019年8月17日、JOCジュニアオリンピックカップのクレー射撃・トラップ種目が開催されました。

宮坂七海さんはこの大会で100射中91射を的中させて優勝を果たします。

この記録はジュニアオリンピック史上最高スコアであり、かつ競技歴わずか1年半での達成という史上最年少優勝記録でもありました。

「怪物」「天才」と称されたのも当然です。剣道で培った集中力とろう者としての視覚能力が、まさに爆発した瞬間でした。

2019年度全日本女子選手権での銅メダル

ジュニアオリンピックでの優勝から約2ヶ月後、2019年10月17日に開催された全日本女子選手権大会でもトラップ種目で銅メダルを獲得しました。

ジュニアの大会だけでなく、一般の全日本大会でも上位に食い込む実力を示したことで、「単なる新人の快挙」ではなく「本物のトップアスリート」としての評価が確立されていきます。

炎の体育会TVへの出演

これらの活躍が評価され、2020年2月8日放送のTBS『炎の体育会TV』に出演しました。

番組内ではヒロミさん・加藤浩次さんとクレー射撃対決を行い、全国的な知名度を獲得。

「耳が聞こえないのにできる」ではなく「耳が聞こえないからこそできる」という宮坂さんの存在感が、茶の間に届いた瞬間でした。

2020年JOCジュニアオリンピック2連覇

2020年8月22日・23日に開催されたJOCジュニアオリンピックでも、宮坂七海さんはトラップ種目で優勝を果たしました。

2年連続優勝という結果により、令和2年度もオリンピック有望選手として認定されています。

2019年の「史上最年少・史上最高スコア」という快挙が偶然ではなく、確かな実力に裏打ちされたものであることを証明しました。2024年パリオリンピック出場を目指していた時期で、家族も含め周囲全体が夢の実現に向けて盛り上がっていた頃でしょう。

メルカリ入社と競技継続の道|大学院修了後の選択

2024年パリオリンピックを目指し、宮坂七海さんは大学卒業後に大学院へ進学しました。

そして大学院修了後は、競技を続けながら社会人として働くという新たな道を選びました。

大学院でのコーチング学研究

宮坂さんは日本体育大学大学院に進学し、コーチング学専攻で修士課程を修了しています(2022年3月修了)。

コーチング学とは、スポーツにおける指導法や選手の育成に関する学問分野です。

競技者として活躍しながら、「後輩たちに剣道を教えたい」「ろう児のロールモデルになりたい」という夢に向けて、指導者としての理論的な基礎も積み上げていたことがわかります。

2022年4月のメルカリ入社

大学院修了と同年の2022年4月、宮坂さんはフリマアプリ大手・メルカリに入社しました。

メルカリには「mercari ATHLETES(メルカリアスリーツ)」という、アスリートが競技を続けながら社員として働けるプログラムがあります。宮坂さんはmercari ATHLETESとして射撃競技を継続しながら、会社員としてのキャリアも積んでいきました。

企業のスポンサーシップを得ながら競技を続けるという選択は、多くのアスリートにとっての課題を解決するものであり、宮坂さんの場合もメルカリという企業との良好なパートナーシップが実現しました。

競技継続に必要な環境整備

クレー射撃は装弾や銃の維持費、国内外の大会への遠征費など、継続するためにかなりのコストがかかる競技です。

企業所属アスリートとして安定した収入と競技サポートを得られたことで、宮坂さんはより高い集中力で競技に向き合えるようになりました。

海外遠征も積極的に行い、国際大会での経験を積み重ねていきます。大学院での理論研究と実践の場での積み重ねが、2023年・2024年の全日本制覇につながったと見ることができます。

現在はセトラスホールディングス所属

なお、現在では宮坂七海さんはセトラスホールディングスに所属しています。

朝日新聞に2026年2月6日付で掲載されたFOCUS記事「音なき世界から、ロス五輪狙い撃つ クレー射撃全日本女王・宮坂七海」では、セトラスホールディングス所属選手として紹介されています。

メルカリからの移籍後も変わらず競技を続けており、LA2028オリンピックへの挑戦が続いています。

全日本女子選手権2年連続優勝と国際大会への挑戦

宮坂七海さんは全日本女子選手権トラップ種目において、2023年・2024年の2年連続で頂点に立ちました。

この偉業の内容と、並行して進む国際大会での活躍について詳しく見ていきます。

2023年全日本女子選手権での初優勝

2023年の全日本女子選手権トラップ種目で、宮坂七海さんは初優勝を果たしました。

2019年の銅メダルから続く着実な実力向上が、この年ついに日本一という形で花開いたのです。

全日本選手権(男女混合)でも3位に入り、女子選手として男子選手とも肩を並べるレベルの実力を示しました。

2024年全日本女子選手権での連覇達成

2024年も全日本女子選手権トラップ種目で優勝し、2年連続の全日本女王の座を確保しました。

この連覇について、銃器専門誌『Guns & Shooting Vol.27』(2025年7月3日発売)で一度「2年連続銅メダル」と誤記されたことがありましたが、後に「2年連続優勝」として正式に訂正されています。

国内女子クレー射撃界のトップランナーとして、その実力は疑う余地がありません。

Asian Shotgun Cup 2024での国際実績

2024年には、カザフスタンのアルマトイで開催されたAsian Shotgun Cup 2024に出場しました。

トラップ種目の個人戦では8位という結果でしたが、混合ミックスチームでは3位に入り銅メダルを獲得しています。

国際舞台での経験は、LA2028オリンピック出場に向けた重要なステップです。世界レベルの競技環境での経験値を積み上げながら、着実に目標に近づいています。

サイトロンパイロテクニクスとの契約

2025年6月には、サイトロンパイロテクニクスとスポンサー契約を締結したことが発表されました。

これにより、同社が取り扱うウィンチェスターAA装弾の提供を受けることとなっています。使用銃はベレッタDT11で、ウィンチェスターAAとの組み合わせでLA2028オリンピック出場を目指しています。

7月のBerettaディーラーミーティングにもゲストとして参加しており、クレー射撃業界内での存在感も高まっています。

LA2028オリンピック出場と宮坂七海さんの夢

宮坂七海さんの現在の最大の目標は、2028年のロサンゼルスオリンピックへの出場です。

全日本2連覇、国際大会での実績、スポンサー契約——すべてがこの夢に向けた布石となっています。

ろう者として日本初のオリンピック出場を目指す

宮坂七海さんがオリンピックに出場すれば、ろう者として日本初のオリンピック出場者となります。

これは単なる競技記録ではなく、日本のろう者コミュニティ全体に対して「私たちにもできる」というメッセージを届けることになります。

「ろう児が自信を持てるロールモデルになりたい」という夢が、オリンピックという世界最大の舞台を通じて実現できる可能性があるのです。

現在の活動と競技状況

セトラスホールディングス所属として、宮坂さんは国内外の大会に出場しながら実力を磨いています。

朝日新聞のFOCUS記事(2026年2月)でも「音なき世界から、ロス五輪狙い撃つ クレー射撃全日本女王・宮坂七海」として取り上げられるなど、メディアからの注目度も高まり続けています。

「当たったときの爽快感。それが気持ちいい」と日本手話で競技の魅力を表現する宮坂さんの言葉は、音のない世界でクレー射撃に魅せられたアスリートの純粋な喜びを伝えています。

剣道指導も継続する多角的な活動

クレー射撃に専念しながらも、宮坂さんは剣道の指導も続けています。

時間を見つけては東競武道館の稽古に参加し、後輩に稽古をつけているといいます。「後輩たちに剣道を教えたい。ろう者である私でも、思う存分剣道に打ち込むことができた。そして、報われるまで努力する。このことをもっと色々な人たちに知ってほしい」という言葉が、宮坂さんの指導への思いを表しています。

スウェーデン取材と国際的な注目

ある時期、スウェーデンの国営テレビがろう者向け番組の撮影のために宮坂さんの取材に訪れました。

出演者も撮影クルーもスウェーデン人のろう者だったにもかかわらず、すぐに打ち解けた様子が伝えられています。国や言語が違っても、「剣道を伝えたい」という思いと集中力が、コミュニケーションの壁を越えたのです。

「私は、剣道を通して多くの人と繋がりを持つ事ができた。しかも剣道は生涯スポーツ。だからこそ、一生剣道を続けていきたい」——この言葉が宮坂七海さんの根底にある思いであり、家族が育てた「人との繋がりを大切にする姿勢」の最も美しい表れと言えるでしょう。

宮坂七海の家族と競技人生の軌跡|総まとめポイント

  • 宮坂七海さんは1997年11月3日、東京都生まれのクレー射撃・剣道アスリート
  • 生まれつき耳が聞こえないろう者で、第一言語は日本手話
  • 家族構成は父親・修見(おさみ)さん妹2人が確認されている
  • 父親・修見さんは剣道経験者で「集中することの大切さ」を伝えるため七海さんを剣道に導いた
  • 「ありのままを愛してくれた家族」という言葉が示すように、ろうアイデンティティを尊重した家庭環境で育った
  • 明晴学園一期生として中学まで通い、日本手話を第一言語としたバイリンガルろう教育を受けた
  • 日体荏原高校では剣道強豪校に進学し、高校2年生で東京都春季大会優勝の実績
  • 2014年8月4日放送の日本テレビ『NEWS ZERO』でろう剣道家として全国的に注目された
  • 2017年、日本財団パラアスリート奨学金でクレー射撃を開始(競技歴は1年半未満でジュニア優勝)
  • 2019年JOCジュニアオリンピックで100射中91射の史上最高スコア・史上最年少優勝を達成
  • 2022年に大学院(コーチング学専攻)修了後、メルカリに入社し競技を継続
  • 2023年・2024年の全日本女子選手権トラップ種目で2年連続優勝、国内女子クレー射撃界の頂点に立つ
  • 現在はセトラスホールディングス所属で、LA2028オリンピック出場を目指している
  • NHK Eテレ「みんなの手話」出演や電話リレーサービスCMなど、手話普及・聴覚障害理解活動にも積極的
  • ろう児が自信を持てるロールモデルになる」ことを夢に掲げ、後輩への指導も継続している